過疎化が進み園児が天使のようにはばたき滑り台を楽しんだ光景、砂山でトンネルを掘って水を流した絵も見ることがなくなった雪解けの幼稚園。
村に用地を買収されることになり解体することになった幼稚園、ここを卒園した園児はこの場所を再び訪れたとしてもその時間を振向くことはないだろうと思った。
以前ある住宅関連の書籍でこんな話が出ていた。
家を新築しようと土地探しにおいて不動産屋を訪ねたそうだ。案内された土地は妻が過去に住んだ場所か、その向かいの土地だったそうだ。そこを案内され両親がお互いの進む道を歩むことになり、その地を後にした、いやな思い出の時間を回顧したそうだ。でも、偶然にその地に呼び寄せられたような感じがしてその場所を選んで新築をしたという話である。勇気のある話なのかもしれない。自宅の写真が載っていて夫婦で仲良く微笑んでいた。妻の笑顔と、良かったねという夫の笑顔が印象的であった。
昨年読んだ書籍に載っていた話であり、解体間際の幼稚園に入る機会を与えられたときに、この話を思い出した。僕が幼稚園に通っていたにせよ使うことはなかったと思われるシンプルな表情を持った素人が作ったようなベンチを見て、座っても足が下まで届かないような高さが、むしろ背伸びをして一歩一歩大人に向かって伸びていくように作られたのかなって思ったよ。今、こうしてパソコンの脇に置きながら見ているけれど、素朴な風合い、国が将来に向かって発展世界に追いつけとばかりに願って国民みんなが努力してきた時間、子供たちはお古のお下がりを着て、ズボンのひざには当て布をして、今で言うパッチをしてきたというのを家路に着くときにふとよぎったんだ。僕もそうだった。
峠を下りまた自販機がほとんどないような道を下りた、雨が降ってきた。ワイパーが過去をかき消すかのように一振りしては一戻りした。僕の住む街までなぜかアクセルが踏み込まれた意識の外に。
寂しき街を抜けた、空に微笑む虹が見えたよ。